通夜へ参列することを弔問と言いますが、その始まりにはいくつかの説があります。
遺体を獣から守るために、家族や友人が火をたいて夜を明かしたのが始まりという説。
お釈迦様がお亡くなりになられた時、お釈迦様の教えについて語り明かしたのが始まりという説。
生きている人が死者や死霊に対する恐れを克服するため火を絶やさず遺体の番をしたことが始まりという説。
亡くなった人に悪霊が侵入するのを防ぐため、故人に付き添った「添い寝」の慣習から始まったという説。
「人の人柄を偲んで冥福を祈り静かに過ごすべきである」という考えからすると、お釈迦様の説が有力なようです。
しかし、中国の歴史書「三国志」中の「魏志倭人伝」によれば、弔問客が「歌舞飲酒」をする風習があったことも記述されています。
その(地の)死(事)には、棺があって槨(そとばこ)がない。土を封(も)って冢(つか)をつくる。死ぬと、まず喪(なきがら)を停めること十余日、(その)当時は、肉をたべない。喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒につく。(「魏志倭人伝」より引用)
人が亡くなるとおよそ十日間喪に服し、その間肉を食べない。
喪主は泣き、他人は歌い踊りまた酒を飲む。
これを読み解くと、人々は獣や死霊・悪霊に対する恐れを克服するために、歌い踊り、陽気に酒を飲んだのではないかと思われるのです。
現代でも、通夜振る舞いの時に亡くなった人との思い出を語り合い、同じように陽気に夜を過ごす人も多いようですから。